粉。趣味:ぶろぐ

ぼくの趣味はぶろぐです

友達の定義がマジでわからんのよな

先に言っておくとマジでわからないだけで重い話ではないぞ!明日も陰キャ!どうも、粉。(こなまる)です。

 

サマーバケーション・クズチェック

なんかカッコイイなと思って英単語くっつけ風にしたら東京スカパラダイスオーケストラの曲名みたいになりました。いや東京スカパラダイスオーケストラの曲知らんが。

夏休みって学生達のない向上心がやたら試されるよね~、という話です。

僕は顕著に何もしないタイプの輩なんですが、滅茶苦茶に暇なわりに同級生の友人やらとは一度も遊ぶことがほとんどないまま既に7月を終えようとしています。なんなら必要な移動以外で外出てないし。

 

僕としては同級生の友人達なんて夏休み一緒に遊んでおきたい相手ナンバーワンなわけですが、もし誘いを断られた時のショックがデカすぎる故に何も誘えないでいます。

いや誘ってみてから判断しろやって話になりますが、僕にとってはわざわざ遊びに誘うリスクがあまりにも大きいんですよね。

中学時代の旧友に関してはLINEで繋がってるにしろ頻繁には連絡取ってないし、会う機会も頑張って都合つけた時くらいだし、そもそも頑張って都合つけてもらう段階がめんどくさすぎる。割と近所でいつでも会えるからこそ面倒になってる節もあると思う。

そもそもコレまで暇な時に誘ってたのがほぼ全て僕からだったから、たまにはあちらから連絡来ないかな~と漠然と思ってたら7月終わってた。そうだよね~、やることあるのにわざわざ思い出したように旧友と連絡取らないよね。片思いみたいでイヤだわ。

ちなみに高校の学友に関しては高校で人望を獲得することをしてこなかった故に遊びたくても思い当たる節がほぼない。

 

で、何の話かって「みんな忙しそうなのに僕は虚無」って話だ。長期休暇を大々的に命じられているからこそ、みんな何かしらの活動をすることでただ単に休んで怠けてる奴と差をつけるわけですが、それをされてる時に僕みたいに怠けてるサイドの人間が得るものは虚無と焦燥感だけ。

僕の夏休み観は小学生で止まってるんですが、年齢を重ねるにつれて一緒に遊んでたヤツの都合が段々とつかなくなっていくこの感じがもう凄い怖い。

 

亀の歩み、偉さの歩幅

それを見て何をするでもなく今日もシャドウバースで手札シャカシャカしてるんですが、それらを踏まえるとやっぱり「偉さの歩幅」みたいなのってあるんじゃないかという気がしてくる。目標に向かっていく歩幅というか、頑張りの姿勢みたいなの。友人間でそれが一致してないとどっちかが離れていくしもう一方が後ろめたくなる。ような気がする。これ確か前にどっかで一回書いたな。

仲がずっと続いてる友人と続いてない友人とで比較した時、単純な身体の距離の問題もあるんだろうけど「どちらかが何かで落ちぶれてても笑い合える」っていう心の距離の近さが一番重要なんじゃないかと思うことがある。

僕にとって一番付き合いの長い他人は、なんだかんだあって兄の友人2人だ。8年くらい継続的に家に遊びにきて一緒に遊ぶ仲だけど、恐らく多分まぁまぁ落ちぶれている。詳細は省くけど、僕は何があっても「まぁ人のこと言えないから一緒に遊ぼう」くらいの気持ちでいる。

 

友達の定義 とは [検索]

そういえば友達の定義とかいうタイトルで書き始めたんだけど、それを書いてなかった。なんでこれを最初にタイトルにしたかって、僕が友達の定義を「一緒に遊べる人」としているからだと思う。ひろ~い意味ではそうかもしれないけど、多分間違ってるんだろうな。この定義だと友達って超面倒なものになってしまう。「僕に友達なんていない」と思ってしまうのは、これを含めてきっと色んな原因があるんだろうけど。

繋がるきっかけなんてどうでもよくて、大事なのは心の距離や価値観だよな~。と、オンライン通話で遊ぶ人のことや、たまにだけ遊ぶ近所の同級生のことを思い出した。

 

あ、わからんって話なので結局定義が何かは知りません。「心の距離が近いヤツ」でもいいかもしれないけど、やっぱ定義って難しいよね!

こちらからは以上です。

粉。でした。