粉。趣味:ぶろぐ

ぼくの趣味はぶろぐです

蝉、たまに鳴いてるくらいがずっと続けばな

四季の移ろいを感じることってそれ自体がめっちゃエモくないですか。どうも、粉。(こなまる)です。

 

蝉鳴いてた!!!!セミ!!!!

福岡はやっとこさ最近梅雨入りしたらしいんですが、それにしても雨が全く降らないのでもう夏が来た気分でいます。

それは虫の生活にとっても同じことのようで、勘違いした数匹のセミがメスを求めて鳴いてるのを聴き、「まだ早いだろ」と思うと同時に「エモし。」と僕の感情担当のオードリー春日が呟いていました。おそらく「まだ早いだろ」って言ったのはその隣にいた僕の中の若林だと思います。「求愛するにはまだ早いんですけどもね」って言え。

なにかと多感な僕にとって、四季の移ろいは一種の祭りだ。その始まりが一番ワクワクするけど、始まってみるとそう楽しくもないし、でもその時しか味わえないものがあるからこそ終わりは名残惜しい。

でもって"その季節ならでは"の多い季節ほど祭り感が強い。夏の始まりなんて最高で、その季節自体が大きな祭りなのに、そのなかにも祭りがある。やってることは祭りの二乗だ(?)。

その季節を告げてくれる最初のセミの声は、感情担当の春日もおもむろにカスカスダンスを始めるレベルで気分が高揚する。祭り自体がそんなに好きなワケではないけど、「夏の始まりってめっちゃ気分高揚するよね」ってのを話す友達がいないためブログに書いている。

 

たださっき書いたように、祭りって始まってみると期待してたほど楽しいものでもなくて、こんなもんか~と思っているうちにソレ自体が終わっている。宅配ピザ頼んだ時のテンションの推移と同じで、始まる期待感と始まりを告げる音が一番テンションが上がっててあとは基本下がる一方だ。

だからこそ、この季節の始まりの瞬間だけが長く続いて欲しい。たまに鳴くセミはたまに鳴いてるからいいのであって、滅茶苦茶に鳴かれ続けるとうるさいだけだ。

 

なんなら季節の始まり:最中:終わりの時間配分は5:1:4くらいがいい。始まりもいいけど終わりも良くて、季節の移ろいによって動かされる感情の比重も僕のなかでは丁度それくらいだ。

夏の終わりを想うと、セミの声がピタっと止むことは少ないような気がする。段々減ってある日を境に聞かなくなる。そのボリュームが減っていくような気づかない過程が良い。

温暖化の影響か知らないけど、夏と冬がとにかく長いから季節の移ろいもクソもなくて、蝉がうるさくない程度に鳴くのに「エッッッッッモ」と思った、という話でした。

 

こちらからは以上です。

粉。でした。