粉。趣味:ぶろぐ

ぼくの趣味はぶろぐです

なにわろてんねん、癖で草

草。インターネット上では完全に浸透したミームおよび言い回しの一つで、「笑い」を意味する単語。

説明してて草。

 

最近、気づいたらニヤけてしまっている。そういう時にいいことがあるわけでもなければ、特段毎日が面白いです!という感じでもない。どちらかといえばしんどいし生きづらい。

気づいたらニヤける理由を探してみると、第一に日常的にマスクをしていてバレづらいという時勢的なものも、もちろんある。が、発端はどう考えてもこの要因ではない。マスクし始めてからニヤけ始めました、だともうそういう病気だ。

 

思い返していくと、僕の感情の隅の方にはいつも「笑い」がいる。おそらく、「粗探し」とか「嘲笑」の類の。ネットの単語で言うなら、「草」だ。

社会で、この世界で生きていこうとするとどうしても理不尽でイラつくことが多くあって、そのひとつひとつに真面目に向き合うとあまりにも心が曇ってしまう。

そういうタイミングでニヤついているのは一種の防衛反応なのだと思う。イライラを表に出しすぎるのは角が立つし周りにも悪影響を及ぼす。と僕は個人的に思う。

悲しみや神経の興奮にも同じことが言える。感情は表に出そうと思っていなくても出てしまうものだし、それを察知させない!というのは一種の才能だし、もはや兵隊が訓練して身につける業(わざ)だ。

そもそも本当は感情を一定に保って、できるだけ角の立たない人間になりたかったのだ。が、あまりにも感情を押し殺すのがストレスだった。ので、ニヤけることにしたんだと思う。後付け設定すぎるけど。

 

笑顔には程遠いオタク・スマイルだが、感情を上書きして角を立てないならニヤけるのが個人的には一番楽だ。何かしらに理由をつけて「おもろw」と思っていたら角が立たない感じになる。

「上司キレてて草」「客ニコニコで草」「なんかうるさくて草」「無性に死にたくて草」「ほぼ喧嘩してて草」

といった具合に。

常時ヘラヘラしているといえばそうなんだろうが、根が真面目すぎるが故にこうでもしないとメンタルを保てない。感情を上書きするにあたって「草」という嘲笑の行動が僕にはどうしても必要だと思う。

 

というか、そもそも「草」という単語は明らかに性格が悪い。語源が「笑い」から始まり、「(笑)」や「笑」、「藁」、「w」を経て、「wが連続だと芝生みたいだから」というキショめの共通認識と口にした時や文にした時の語呂のよさだけで「草」までたどり着いている。「笑いが草に至るまでの変遷の歴史を説明しなさい」と言われたら、僕はきっとニヤけながら断ってしまうと思う。「いや…wちょっと…w嫌ですね…w」と。

 

言葉の変遷にしてはあまりにもニチャニチャ、ネチャネチャしすぎている。

それが今日この瞬間までずっとネットミームとして伝わって使われている。

もちろん伝わらない人もしっかりいるわけで、それが「笑い」を意味する単語であるから更に性格が悪く気持ちが悪い単語なのだ。ぼく個人は使いまくってるけど。ここまで浸透しているともう由緒正しきキモさにすら思える。

伝わらない人もいる「笑い」を意味する単語、というだけでそれは「嘲笑のための単語」として成立してしまうと思う。「バカにしている」「ナメ腐っている」と捉えて構わないと思う。笑うという行為は、理由や状況によっては普通に失礼だから。

 

ここまで書いて証明されてしまうのは、僕がストレスや神経の興奮を感じるきっかけの事象(人の怒りやストレス源)をバカにしていて、ナメ腐っているということと、防衛反応でむしろ失礼なことをしてしまっているということだ。

 

自爆して草。

いくとこまでいくと、自分が物事を嘲り笑っていること自体に違和感を覚え、それに草がまた生えてくる。草の入れ子構造。笑いの焼畑農業。雑草魂(ざつくさだましい)だ。

そもそもあまりにも僕の自尊心・自己肯定感が低い。自分の中で「なんでこいつがこれを笑ってんだよ(笑)」の状態が続いていく。こうなるともう無限にニヤける。

なにわろてんねん。とスッと波が引いて真顔になるまで続き、真顔になった瞬間の冷静さであまりにも虚しさがやってくる。寒暖差で風邪引く。高低差で耳キーンなる。時差ボケで鬱になる。

小ボケひねり出したうえに意味通らなくて、草。

 

 

たぶんやめたほうがいいね、この癖。

癖で草。