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ユーモアセンスと試しうち、トレンド予言の散弾銃【日記】

センスが飛び抜けてる人間になりて~。こなまるです。

書き始めが夜明け前で暇なので、なんとなく最近身の回りで感じるセンスに関する話などを書きます。

センスって何ぞや

その前に、センスって一体なんなんでしょうね。センスってなに?NANIMONO?

 

答え合わせの前に言語化しておくならずばり、物事に対するバランス感覚のことだと思う。

バランス感覚と一口に言っても時代・環境に対する正解はそれぞれ違うし、センス自体に絶対的な正解はないけど。説明するならこの言い方が一番楽かな。

 

ということで一応検索して引用してみます。

センス
 
 物事の微妙な感じをさとる心の動き。微妙な感覚。
 「―がある」
そもそもは心の動き、言い換えるなら心の働きを表す言葉なんですね。 なるほど。
えー…なるほどすぎて下手に言い換えると別の意味になりかねないな。
日本語で表すなら感覚力~って書きかけたけどそれも微妙に違うような気がするし。
 
要は「風合いを悟る力」のこと。バランス感覚って言い方もあらかた間違ってない、ということにして話を進めようと思う。
 

ユーモアセンスと試しうち

で、ようやくしたかったユーモアセンスの話になる。
「こいつ面白い言い回しをよくするな」って人が居たとして、それって果たして持って生まれたセンスなのかな?ってことについて書きたい。
 
ちなみに結論から書くと、僕は面白い人のユーモアセンスが最初から持って生まれたものだとは思わない。
ユーモアが育ちやすい環境に居た、というのが正しいと思う。(言語に関する部分だから当たり前だけど)
 
一番に思いつく面白い言い回しといえば比喩を使った喩えツッコミだけど、比喩ひとつ取っても上手い言い回しをする人は抜群に上手だ。
周囲を納得させつつ笑える大衆バランスに留めた比喩は、絶妙なバランス感覚≒センスなくして成り立たないと思う。
 
そういう人が何故抜群のユーモアセンスを持っているのか考え、僕が立てた仮説は
「人生での比喩やユーモア使用の試行回数が多く、たとえ外しても折れない心を持っている」説。
 
説というか、経験則的にそう思った。
あと、この説だと何かに例えやすい。FPSTPSゲームにおけるAIM(エイム)や、格闘ゲームにおけるコマンド練習、スポーツにおける基礎練習に似ている。
 
比喩も弾もコマンドも、最初から百発百中の人間など居ないハズだ。
 
ユーモアセンスのある人は、会話の中で比喩を試行する回数や日常で何かを何かに例えようと考えを巡らせるタイミングが多いのだと思う。
環境によって育まれた自分自身のプライドや興味によって、そういう思考になったんじゃないかなーと。
 
この記事を見てくれる層の中ではSplatoonの試しうちがわかりやすいと思うが、アレってやればやるだけ理論上はAIM力がつくし、勘が戻るし弾が当てやすくなってくる。ただ外れた時に少し心が萎える。(というかもはやこのブログをどの層が見てくれてるのか全く定かではないけど)
 
言葉の言い回しも、あの試しうちと同じだ。
言ってしまえば漢字の読み書きだとか暗算能力、一般教養とか何においてもそうだと感じる。使う回数だけ、知識やノウハウとして伸びていく。
それが会話っていうコミュニケーションの中で出てくるのが面白いかつ怖いなーって。
クリティカルも、空回りもあり得るから。
 
 
ただ、ユーモアセンスの試行回数を試しうちに例えるならまだ書くことがふたつある。
 
一つ目。Splatoonの試しうちでも、比喩表現で取る笑いでも、弾がかなり外れてる事に気づかない・気づけない人が居る。(何様だよって感じだけど、客観的に見てそういうことがあるな~と感じるだけでどちらかというと僕も弾を外す側の人間です)
 
この例はちょっと極端だけど、5発中4発は当てないと対面に勝てない弾を5発中2発だけ当てて満足してる、みたいな。
これをユーモアセンスに例えるなら、10人中8人笑う言い回しと10人中4人だけ笑う言い回しの違いが審査できない、みたいなことだと思う。
 
かなり面白いネタツイートについている蛇足すぎるリプライなんかは、マジでそういう気づけないセンスの人が送っている気がする。
 
二つ目。いわゆるAIMお化けみたいな人も存在するということ。いわゆる基礎練習をやりすぎて絶対的感覚を身につけてしまった人も稀にいる。
 
ユーモアセンスだと千鳥のノブとかミルクボーイの漫才並に的確かつ大衆向けの表現ができる人ってSplatoonのガチパワー3000到達者みたいなモノだと感じるし、努力の結晶にしたって何か神がかり的な才能があるような気がする、そんな域の人もいる。
 
最初に書いた「面白い人のユーモアが持って生まれたものとは思わない」と矛盾はしていないはず。一定のラインを超えると才能としか言えないレベルの精度の人が居る、というだけの話で。
 
 
つらつら書き足していったけど何が言いたいかってとにかく「もっとパッとうまいことが言えるようになりたいな~」に尽きます。
ブログやってるのも正直なところ比喩や言葉の表現で気持ちよくなりたいからです。
まあこれそういう日記なんですけど。

 

トレンド予言の散弾銃

ちなみにこの記事はもうちょっとだけ続きます。見出しが劇場版名探偵コナンのサブタイみたいになったけど、この項はそんなに長くないから勘弁して。トレンド予言の散弾銃(ショットガン)、から紅の恋歌(ラブレター)と文の構成が大体同じじゃない?
 
最近センスセンスセンスの擦り切れ~なんて言いながら、サブカルチャーや興味があるものにちょこちょこ手を出して思ったこと。
今年のトレンド予想!みたいな企画で流行りそうになってるものって、サブカルチャー系を漁ってると避ける方が圧倒的に難しい。散弾銃並に手を出しちゃうから、何かしらにヒットして予想と被ってしまう傾向にある。
 
それに、トレンド予想してる人がほぼ直接的に流行を作ってる場合も多い。
サブカルにハマる側もいざハマったら発信しちゃうタチだし、トレンドってこうやって作られていくんだな~と。
あれトレンド予想っていうかもう予言じゃんって最近思いました。
 
自分で予想や予言しといて自分で達成する、なんかそんな感じの記事か何かがあったな~と思って調べたら、そもそも「予言の自己成就」って言葉があるみたいですね。

予言の自己成就

 たとえ根拠のない予言(=噂や思い込み)であっても、人々がその予言を信じて行動することによって、結果として予言通りの現実がつくられるという現象のこと。
 例えば、ある銀行が危ないという噂を聞いて、人々が預金を下ろすという行動をとることで、本当に銀行が倒産してしまう、というもの。
 このような社会現象のメカニズムを、アメリカの社会学マートンは「予言の自己成就」と名付けた。 これは、W・I・トマスの「もし人が状況を真実であると決めれば、その状況は結果において真実である」という定理をさらに展開した理論といえる。

 例のトイレットペーパーが一時期品切れになった件もなんだか近いものを感じますね。

「絶対流行る」って言いながら人にゴリ押して結果的に流行らせる力技、そもそも質が良いと信じたモノを奨めてはいるけど、己のセンスが問われるな…と近頃色んなモノをオススメしてて思いました。

 

しっかり日記みたいになったところで、だいぶ書いて満足したので書き終えるとします。

 

こちらからは以上です。

粉。でした。