粉。趣味:ぶろぐ

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ハロウィンを変えろ

ハロウィンはいつだって間違いだらけだ。

 

賑わう大都会。狂人は悪魔へと仮装をし、トリックオアトリートの声も掛けずに公衆にトリックをしかけている。

 

もしかしたらトリックオアトリートと大声で叫びながら練り歩く輩がいるかもしれないが、だとすれば大声自体が既にトリックだ。

あと存在自体で言えばかなりエキセントリックだ。奇人の仮装かもしれない。

 

数年前からハロウィンの翌日のニュースではゴミの散乱や横転するトラックが目に付き、隣町ではサイレンとバイクのエンジン音が鳴り響いた。

平穏な日常から気分を損ね落ち込ませるコレを間違いと言わずになんと呼ぶのか。

 

 

ハロウィンは人を狂わせる。日陰者にとっては厄日だ。

自分の手ではどうしようもないほど悪い事が多くならざるを得ない。クリスマスとエイプリルフールとバレンタインデーも多分厄日だ。

エイプリルフールが四月馬鹿だとするなら、ハロウィンは十月馬鹿と言っていい。

 

街に出れば不審者のコスプレと見なされ、悪魔たちにトリートなネタとして扱われるに違いない。まず街には出られない。

インターネットに引きこもるのはどうか。

しかし情報を手に入れようとする以上、ハロウィンの呪縛からは逃れられない。

メディアからしてもハロウィンに絡めることで多少はPV数が稼げるのだろうか。

社会がハロウィンというトリック単語によってメディアマジシャンにトリートな餌として扱われている。あとこの一文に関しては自分でもなんて言ったかわかってない

 

例えばネット上でにわかに騒がれた地味ハロウィンも、いまやユーモアの欠如とクオリティの低下が著しい。

行事として大々的に流行り始めていたハロウィンで、地味な仮装をして集まることそれ自体が奇抜な発想だったからこその面白さだったように思う。

それを理解していないまま慣習的に続くと、後に続いた人ほどユーモアが欠如していく。

そうしてしまうことで新鮮みがなくなりネタ被りも多くなり、最終的に同情票的ないいねしか集まらなくなる。同情で票を獲得するつまらなさは、欽ちゃんの仮装大賞で実証済みだ。

 

ハロウィンに群がる社会はでっけぇ欽ちゃん仮装大賞。面白がる奴らとチャンネルを変えて奴らに二極化する。僕もできることならこの世ごとチャンネルを変えてしまいたい。

 

そもそもハロウィンってなんなんだ。

 

何もかもが間違っている。

ハロウィンとは元来、収穫祭かつ鎮魂祭ではなかったのか。

 

ハロウィンを収穫鎮魂祭とするなら、仮装で街を練り歩くのは4段階くらいズレて間違っている。そこから一つずらした地味ハロウィンは5段階くらい間違っているし、地味ハロウィンでスベっている人は6段階くらい間違っていることになる。

 

段々怖くなってきた。

これだからイベント事は信用できない。

 

本来の姿に従うなら、イベント事は全て無くなるべきだ。

ハロウィンを変えろ。

存在の意義を疑え。

 

 

 

 

 

 

 

いや待て。

 

本当にそうだろうか?

 

思えば僕は収穫祭のハロウィンも、鎮魂祭のハロウィンも見た事がない。

ハロウィンの成り立ちや歴史というそれっぽいものに騙されていたのは僕の方ではないか?

こじつけで否定から入ろうとしてしまっていたのではないか?

子供の頃から既に、ハロウィンはお菓子の日だった。今でこそ仮装の日だが、収穫祭の日でも鎮魂祭の日でもなかった。

 

そもそも歴史が絶対的に正しければ、クリスマスやバレンタインデーを宗教上の理由で拒否する人が居るはずだろうし、エイプリルフールはとうに無くなっていておかしくない。

起源が不明の慣習なんて、歴史だけを重視するならとうに消えているハズだ。

それでも小さい頃からクリスマスはプレゼントの日で、バレンタインデーは愛の日で、エイプリルフールは冗談の日だった。

 

イベントとは歴史を重んじているからやるのではなく、非日常が楽しいから存在している。

毎週毎晩のように非日常が繰り広げられていては趣も非日常もないが、ハロウィンの前後月にイベントらしいイベントは存在していない。

たまに非日常を味わうための口実として受け入れられたからこそ、ハロウィンはあるんじゃないか。

 

文化は変わる。情報の伝え方と受け取り方によって変わっていく。

それに歴史はあまり関係がなく、伝え手と受け取り手が持つ情報のたった一部でしかないように思う。

ハロウィンを変えろ、なんて書かなくても勝手に変わっていく。

 

日本人は祭り事が好きで、だからこそ多くのイベントを宗教やしきたり関係なく受け入れていったという。

どちらかといえば、奇妙な祭りに抵抗がないほどの前提情報が受け取り手にあり、伝え手(メディア)に儲けるための口実と材料があっただけのように思う。平たく言うとお祭り好きということになるが。

 

 

大衆がメディアによって踊らされているというのは、裏を返せば理由なく踊ることの許されない日常で踊ることができている、ということだ。

そう思うと納得がいく。経済だって回らないよりは何かを口実にでも回った方がいい。

 

なんかどこかでは仮想ハロウィンっていうのもやるみたい。8段階くらいズレていっててウケますね。8段階もズレたことによってもしかしたら平穏が訪れるかもしれない。

間違いと文化のズレを重ねた先に平穏も祭りもあるといいですね。

ハロウィンを変えろ。文化は勝手に変わるけど。

 

ハロウィン、これだと思います

 

 

節制して楽しめるといいね、毎日がハロウィンの人はどうにもならないけども

やっぱり悪口言ってる方が単語が面白いなと思った粉。(こなまる)でした。

 ※地味ハロウィンが普通に面白かったためお蔵入りになっていた記事を翌年6月に公開しました

 

読んでくれてありがとね~