粉。趣味:ぶろぐ

ぼくの趣味はぶろぐです

ブログの面白さと、井の中の蛙的なユーモアセンスと

特に何も書くこと思いついてはないのだけど、習慣付けのためだけにタイピングをしている形だ。半年に二回くらいしか書いていないのに何が習慣付けなのか。

タイピングといえば~で話を続けてもいいんだけど、このままだとなんだか思い出話と身の上話オンリーになりそうだし、そういうのばっかり書くのはなんとなく避けておきたい。兄妹全員がタイピングゲームとMMOで小学生のうちにブラインドタッチができてたとか、オンラインゲームサイトのチャットルームで怖いおじさんに絡まれた話とか、書いてもいいのはいいんだけど。

記憶のおいしい部分だけ削いで置いていくのってなんか損した気分になる。

 

そういうのはどちらかというと会話で共感を得ながら消費したい。あと、完全に書き方のせいでケバブを連想してしまい、ケバブが食べてみたくなってる。ケバブっておいしいんですか?おいしいところだけ無限に錬成できるんですか?あと探さないでも見つかる位置にケバブ屋ってなくないですか?

 

会話を楽しむのと別に、僕は趣味としてブログをしていたい。思考における、会話では共感を得にくい部分を自分で壁打ちして練り上げてから公開して、「そういう考えの人もいる」と思ってもらえたり、反応を貰えたりするのが楽しい。

反芻して表現を工夫して伝わらない話を伝えようとして伝わった時の代えがたい面白さが、感情を伝える文章にはある。

あくまで僕の考え方だけど、人とする思い出話だったらいくらでも会話の繋げようがある。他人と即共有していないぶんブログではもったいないとさえ思う。

 

と、思うがゆえにブログを書く機会が、書こうと思える機会が少ない。ふと感じて伝えたいことなんて、そこそこ共感能力の高い誰かに会話してしまえば事足りているから。その会話ができる相手がいる限りは、日記を書く必要性ってそのページに残る以外は特にない。

でも、そこに残ると急に面白くなる。僕は自分の文をもう一度読む機会を作ってしまう体質だからこそ、ブログを書いていると言っても過言じゃない。書き終えると一度文章を発酵させているような気持ちになる。もう、言ってしまえばその瞬間の周りの反応と未来の自分の反応を一石二鳥で楽しめる最高の趣味だと思っている。反応なくて一鳥死んでることは結構な頻度であるけども。書き始めは死ぬほど何も書くことがなくダルいが、書き終えたあとにはスッキリとして全能感にも似たワクワクがある。例えるならめっちゃいい気候の時の風呂上りになれる。

 

…とまでいうとちょっと嘘だけど、それなりに言葉を繋ぐのが楽しい。「発酵させてる」「まるで風呂上り」「一石二鳥の一鳥死んでる」「おいしいとこだけ削ぎ落してて今はケバブが食べたい」とか、ちょっと飛んでうまいことをいうのが、言った風にするのが好きだから。日常生活でも通話でも文章でもうまいことを言ってやろうとする魂胆が見え透いているのは自分でもわかっちゃいるんだけど、それがもう一種の生きがいだから止めることができない。

変な前提に入るけど、生まれる時にどこかで「癖(ヘキ)」を取得しなきゃいけないんだとしたら、僕は「うまいこと言いたい癖」だ。しかもそれで得をしていると思う。自分の自分でも命中しているかわからない座布団狙いの博打的な比喩を、受け取って笑ってくれる人がいるだけでめっちゃうれしい。

世の中、ヘキが発端で犯罪に巻き込まれることなんてザラだし、この程度なら軽度の呪いで済んでる感じだ。

 

ただまあそんな呪いがあったとてユーモアのセンスが飛び抜けてあるわけじゃもちろんないし、たまに同じ言語圏の半分くらいの人に笑ってもらえるような面白い人見つけると羨ましいな~と思ってしまう。

大喜利的な面白さでとにかく面白くなりまくりたい、とまではないけど。

目の前の人たちに井の中の蛙的に褒められるくらいの頭の回転強度が欲しい。

学校で一番スマブラが強い、くらい強さの笑いのセンスに、なりたい。強すぎるのも、むなしそうだよね~