粉。趣味:ぶろぐ

ぼくの趣味はぶろぐです

名は体を表したり表さなかったりしろ

何を書き上げるかは全く決まってないんですけど、なんか書かないと脳の虫みたいなのが収まらないので書いていきます。何書こうかな

最近思うことを何個か羅列してバババババって書いていこうかな

 

それで思い出したんですけど、知人がこの前「馬場さんってなんでみんなあんな顔なの?」と言っていた。なんかわかんないけどわかる。

この「なんかわかんないけどわかる」という謎の共感の話も後で書きたいのだけど。

名字から発される、というか感じ取られる顔の感じが確かにあるのだ。パッと思いつく限りで名字が馬場の有名人、それに引っ張られているといえばそれまでなのだが。

見たことがあり知る限りの馬場姓の知人(クラスメイトとか担任とかだけど)のお顔立ちとジャイアント馬場ロバート馬場から発せらる穏やかで少しのんびりさも感じられる風貌が、確かに一致している。

いや、実際に仕事ぶりや仕草に関してはそこまでないのだけど、「馬場」といえば少なくともそれを言い出した知人と僕の中では「ほわほわとした山羊のような顔」だった。

しかし実際に馬場姓の顔を調べていくと、存外そうでもない。それなのに「ちょっとあってる気がするな…」と思い始めてしまう。これたぶん心理学でそういうのがある。サンプル件数がふたつと、身の回りでの実証サンプルがいくつかあれば、もうあてはめずにはいられないのだろう。

馬場と馬場じゃない人を全くの初見でヘアジャムのCMみたいに仕分けたとしても、結果はそう偏らないのだろうと思う。が、あとづけで「馬場である」という先入観を持って検索結果を見ているとその顔は「馬場寄りか馬場じゃないか寄りで言ったら馬場寄り」になる。

これはもう完全に僕らの主観だし心理学的にこれがどうとかもどうでもいいのだが、特定の有名人やキャラクター、語からのニュアンスに気付かず引っ張られていることはかなりある。

「名は体を表す」というが僕はこれ「体が名に引っ張られて負けていく」みたいなことがあると思う。姓と名ではまた話が変わってくるのだろうし、オカルト的なあるあるでしかないんだけど。

例えばの話、優しく太く生きるで「優太」って名付けられた当人はある時に、「俺そういや優しく太く生きるんだっけ…」ってなる瞬間があるはずだ。

漢字を初めて習った時でも、名前の由来をふと聞いた時でも、すごいセンチメンタルになってしまった時でも。どう思っている誰に名付けられたかでも話は変わってくるのだろうけど、僕が仮に優太と名付けられ育ってなんの因果か強盗でもした直後に名前でも呼ばれようものなら、ごく数ミリくらい「優しくて、太い。」が脳裏にちらつくと思う。もうだってさ、キャッチコピーじゃん。ほぼ。名前って。

 

そういうのを考えていくと、元祖キラキラネームの現在の職業とか顔立ちはちょっと気になる。実際遭遇したとしてその人がその名を呼ばせるかというとかなり怪しいが。

その子がかの有名なぴかちゅうもとい光宙くんだとして、僕はその光宙くんを頭の中で茶化したり、その子の大変さを想像してみたり、初対面のその子の性格を推測で当てようとしてみたりといったことを「しない」と決めても多分できない。どうやっても「ああ大変やったろうな改名もできずにこれまで」と思うし、ぴかちゅうくんやっぱ鳴き真似しろとか言われたでしょ?とか言わないにしても思わずにはいられない。

名は体を表すというが、体が名に引っ張られてに負けている…というか名に脳が負けているのはむしろ対面した第三者のほうで、もう「ゆうたくん」に「よくある名前でちょっと親が甘そう」とか「じゅんこちゃん」に「なんかちょっと無知でもおかしくない」とか思っちゃっているのはむしろ第三者だ。

それを踏まえて対面していく「ゆうたくん」や「ぴかちゅうくん」「じゅんこちゃん」といったイチ人格が性格をどの方向にも歪ませずに育つのはコミュニケーションで育つ人類である限りは無理な気がする。

「なんか『○○という名なりの期待』をされている気がする」と直接的には思わずとも、本人か第三者かもしくは名付け親はもう既に思っちゃっている、と僕は思う。それで性格が変わることなんて、ありえすぎる。名は体を表すというか、名の方向に吸い寄せられていく。

 

で、姓の話に戻る。これはもう、その姓の家庭や人物から受けた人生経験上の統計と、有名人やキャラクターから受けたイメージ像と、もう一個は「かなの語呂・語感」でしかないはずだ。

話はずれるが、多すぎる名字の「田中」や「佐藤」って名字は、日本に居すぎちゃうから他人の感じがしなすぎ。あくまで僕の場合はだが、出会った佐藤の統計をなんとなく脳が取っていって、知り合いになるとして出会ったときには「このタイプの佐藤ね」まである。失礼な。

もうここまでくると姓名ごとにイメージがあるなんて、そんなはずがない。姓名に引っ張られてるんじゃなくて、キャラタイプを分類してるだけだ。

あろうことか、田中や佐藤は母数が多すぎて変な奴(いうなら特性持ちとかいう感じの方たち)も多い気がしてしまう。一定割合の発生を名字に割り振って与えるはずがないのに、母数だけでもうそこまで行ってしまう。

仮に珍しい名字がそういう方だった場合、「ちょっと頭のネジ外れた○○ってやつがいて」となるところが、名字の母数が多いと「頭のネジ外れてるほうの○○さんが~」になる。この呼ばれ方はそう呼ばれない方も気が気じゃないが、呼ばれてる方は名字が普遍的すぎてもう本人がそれを気にしていなさそうな感じを受ける。大物感さえ漂う、そんな田中や佐藤を何件か見たことがある。気にしてないなんてそんなハズないのに。そんなハズなくもないけど。ごめんねしっかり名指しみたいになったけど

 

この話の何がそんなに面白いのか、何がオチなのかってのは自分でもちょっとわかってはないんだけど、そういう経験ありません?っていう共感を得たい。

 

あ、「なんかわかんないけどわかる」の話にしよう。このシンパシーみたいなやつって発生するのなんで?

「存在しない擬音・オノマトペ」を例に出す。「ティピカン…」がなんの音か。

その場の擬音ぽさだけで今書いたこの「ティピカン…」みたいなのは、30%くらいの人が何らかの形で共感しあえうると思う。例外も勿論あるとして。僕の場合は水晶みたいなボタン装置に光が灯った音だと思った。やったことあるゲームに引っ張られすぎかもしれないけど。

あと擬音から現象を大喜利的に決めて当てる、そういうボードゲームも知る限りある。

擬音や語感は多分というかほぼ確実に語句・単語から取っている擬音が存在する。擬音から単語を作った逆も多分然り。でもここら辺に関しては論文も知らないし例を思いついたとしても自分で書いていくのは嘘くさいので言及しないことにします。

ひらがな一文字だけでも無作為に選んだ「ふ」と「つ」の「ひらがな一文字だけ見たときの優しそう具合・かっこよさ具合・冷たさ具合」は人によるとはいえ、少しだけ一致を見せると思う。

有名なのでいうなら、ゴース→ゴースト→ゲンガーが正当に進化するほど強そうなのも、濁音がついているからという原理を知っていてもなお不思議だ。

 

 

そういうことばかり考えているけど、そういうことを考えてもあんまり人生の足しにならないのが残酷ですね。

そういう言葉狩り考えるのも大概にね。

 

何が言いたいんだっけ?

あのー、「体は名に負ける」だけ、覚えて帰ってください。

ハンドルネームって自分でつけれて最高ですね。こなまるでした。