粉。趣味:ぶろぐ

ぼくの趣味はぶろぐです

誰なんだ、邦楽の「君」

なんなんだ。君っていったい誰なんだ。僕のことか?

 

自分語りになってしまうが、僕は音楽を聞いているほうの人間だと思う。聞くか聞かないかで言えば。他人の熱量と比較した時に、心の底から好きといえるのかはさておいて。

「NO MUSIC NO LIFE」とまではいかないが、音楽がないよりあるに越したことはない。音楽やそれを聴くためのサブスクリプションは、間違いなく心と生活を豊かにしてくれている。

 

少し自分の聴き方の話をする。

気分によって聴く音楽をチョイスする自己の意識は、僕の心の調子に寄り添ってくれる友達のような存在だ。例えば悲しい時に悲しい曲を選ぶのも、逆に少し明るい曲を選ぶのも、心の中で分裂しているもう一人の自分が慰めてくれている感覚でいる。

そういう訳で、音楽を聴いている時はなんだか自己陶酔しているように思う。

 

クリエイターから供給されている音楽を開拓していくのは、なにか気分を上下するような薬を開発している感覚に近い。音楽クリエイターの方々にはかなり失礼になるかもしれないが。

音楽の聴き方や聴いている状態の表現は人によって様々だし、これは僕の考え方に過ぎない。ただ、音楽が耳に入ること自体になんらかの形で人を酔わせる効果がある。コンビニやカフェといった店がBGMを用いているのにもなにか裏付けがあるんだろう。

 

よく聴いているのは基本的に邦ROCKや邦楽・Jpopに分類されるような、歌詞を日本語で歌っている曲。文学的表現と音やテンポが結びつく瞬間の調和が好きだ。

調和というと難しく聞こえるが、要は歌詞の詞に重きを置いて聞いているだけの話。

英語がもう少しでも理解できれば洋楽も進んで聞いていただろう。言語として理解できずとも音楽性だけで曲を楽しめれば、外国語の曲ひいてはインスト曲ももっと楽しめていたはずだ。

もちろん、邦楽を聴く人の聴き方も人によって千差万別だし、どんな聴き方も自由だと思う。たとえば自分の兄はインスト曲以外を嫌うし、カラオケも好まない。ボカロや地下アイドルの曲をすすんで楽しむ知人は、その曲の背景や曲のストーリーにも目を向けているように思う。

人が聴く音楽の幅はその楽しみ方による。好き嫌いがあるのは当然で、多種多様。勿論聞かないという選択肢もあって然るべきだ。

だからこそ、一般的に音楽の話をするのは難しいと感じる。

趣味における音楽と読書の幅の広さと掘り入りづらさは他とは一線を画している。地雷を踏みかねないし自分が地雷になりかねない。

なにより「音楽」そのものが好きかと問われると首をひねってしまう。本当に音楽全般を心から愛している人のことを考えると、どうしても頭が固くなる。

あくまで柔軟に答えるなら、僕は邦楽とそれに付随する歌詞が大好きだ。

 

主題とあまり関係のない話をそこそこ書いてしまった。

ここで歌詞に重点を置いて曲を聴く際に気になるのが、「君」という言葉の存在についてだ。誰なんだ。

君だよ 君なんだよ 教えてくれた♪

じゃないんだよ。

www.youtube.com

君の声を 聞かせて♪

じゃないんだよ。誰なんだ。

www.youtube.com

 

ちなみに歌詞に重点を置いて聴くと書いたが、自分の恋路と照らし合わせるようなことをしたことは一度たりともない。今のところマシな恋路が存在しないという虚しさもあるし、仮にあったとしてソレをやるのに照れくささや抵抗がある。

恋や確固たる憧れを持っている少年少女には「あの人」が存在していて、照らし合わせ想いを馳せたりするのだろうか。全く、全くわからない。

 

僕が明確に恋愛のことを歌った曲を苦手としている理由もここに帰結する。「あの人」はいないし、想像ができない。想像ができないから曲中のストーリーを読み込んでも感情移入はできない。

日々のことを歌った曲や誰かへの応援歌が大衆向けの少年漫画だとするなら、恋愛のことを歌った曲は少女漫画のようだ。もしくはそのまま恋愛系漫画。

 

 

それでも、「君」という言葉に抵抗は感じない。何も「君」が適応されるのは恋心や憧れの人だけではないからだ。

アーティストから自分に向けての応援として受け取っても良ければ、自分からアーティストに向けての愛でも、存在しないキャラクターに向けての賛美でも。過去や未来の自分にも、歌によっては恨みを持っている奴らへの怨念にも、場合によっては適用される。

 

「君」という言葉が邦楽・歌詞のある音楽に多用され愛されるのは、きっと対象選択の自由度にあるのだろう。

 

だから、「君」は「対象を限らない誰か」だと答えよう。

 

仮に音楽に詞を乗せるとなった時、音の上でも文面でもたった二文字でその誰かを思い浮かばせることができるのは素晴らしい。

言葉のつくられ方としてIとYOU、僕と君が音として短くなっているのは必然であると何処かで読んだが、詞作りにもそれは繋がってくるということだろう。

 

 

それはそれとして自分に恋の歌が理解できるような日が来るのかは、甚だ疑問だ。

www.youtube.comこういう歌ばっかり聞いてしまう。

 

こちらからは以上です。

粉。(こなまる)でした。