「粗品のツッコミかよ」
2018年M1グランプリ。霜降り明星の劇的優勝と、唯一無二のツッコミ精度を持って日本にその名を轟かせた芸人・粗品。
粗品のツッコミはどうしてこうも粗品らしさがあるのか、考えてみた。
今ではTwitterアカウントの活用やyoutubeチャンネルによるインターネット上での活躍もめざましく、霜降り明星は何より現代らしいお笑いコンビと言って差し支えがない。(せいやの炎上や粗品のボカロ作曲活動なども含め)
冒頭にカギ括弧で示したのは、名を轟かせたその日以来、聞く機会の増えた喩えだ。
この喩えが喩えとして成立するのは、他に該当するようなツッコミをする芸人がほとんどいないこと、仮にいたとしても一番伝わりやすい芸人が粗品ただ一人であることに由来している。
喩えに使われるほどの粗品のツッコミ。そのツッコミの精度・目新しさを評価されたのは間違いない。
いったい粗品のツッコミらしさとはなんなのか?
それらを探ることで粗品のツッコミの精度に近づこう、少しでもユーモアを得ようという魂胆のもとに生まれた記事だ。
お気づき頂けただろうか。粗品のツッコミはワードのパワーと精度のみによって完成しない。事実、文字として打つ「粗品『○○!』」では粗品らしさが全く出ない。
僕自身の比喩ツッコミのワード精度が低いことを置いておくとしても、他のわかりやすさが売りの芸人、例えばジョイマン高木や千鳥ノブなどは名前と語気を借りるだけでもかなり想像がつくようにできている。
シリアルキラーのジョイマン高木「ナナナナ~ナナナナ~粗品はもう死んだ~!」
やればできそうな千鳥ノブ「粗品の真似は出来んっ!」「せいやの代わりはいくらでもおるっ!」
ジョイマン高木は雑に韻を踏み、千鳥ノブは顔さえ浮かべば断言と方言でスタンダードにツッコんでいるだけで脳内で再生できる。そもそもジョイマン高木はボケ担当なので比較にはならないだろうが。
(ちなみに断言するにあたって僕の中のノブがせいやを貶したが本心ではなく、せいやの代わりが務まるのはせいぜいNONSTYLEの石田さんくらいだと思う)
ましてやワードだけで「世界ふしぎ発見のノリ!」と書いてあったとして、読んでいる側が僕が意図した粗品の影に気づけただろうか。これは断言するが、絶対に気づけない。
千鳥ノブが傘をさしている有名な画像でネタツイートをするのが一時期ネタツイートの界隈で流行っていたが、粗品で同じことをしようとするのは難しいと感じる。もしくは面白くするための難度が異様に高い。
実際のところ千鳥ノブの画像でも本当に面白くするのは難しいのだが、ノヴには断言・方言・勢いの良さなど特徴が多いのでそれなりにさまになることが多い。
「わしゃノブじゃ!!ウに点々はヴァンパイアとロシア人だけでええ!!」
面白くするのが難しいと述べたが、理由の一つとして粗品のツッコミ自体に「ツッコミ精度が高い」以外の本質的な特徴が少ないことが挙げられる。
確かに、ダミ声で体言止めで耳に残るし勢いはあるし、比喩としての精度は文句のつけようがない。
ただ、それ以外の特徴と言えば、もはや独特な手フリと顔と身長、言ってしまえばその見た目しかない。後付けと言えば後付けの特徴だ。
なぜなら、霜降り明星のスタンダードな漫才の笑いの本質は、ボケとツッコミの完全な一致にあるからだ。それに見ている側が納得することで、違和感の消化が笑いに換わる。
ボケとツッコミに笑いのタネとなる違和感を100分率で振り分けた時、霜降り明星の漫才はほぼ100:0だ。
だからこそツッコミだけでは成立しない。上質なボケあっての上質なツッコミなのだ。これは他のあらゆるツッコミにおいても言えることではある。
が、粗品のツッコミ単体だけにしてそれを見た時に、ボケがなければ特徴が薄い。特に文面にしてみた時それは顕著だ。
「しょーもない人生!」「楽天カードマンの言い方!」「クリオネの泳ぎ方!」
シンプルイズベスト、という言葉が相応しい。ワード自体のパワーが高いこともそうだが、実はツッコミが一番映えるようなことしかしていない。
体言止めであることが文面上では唯一の特徴なのだが、体言止めであることも、後述するツッコミとそれによる納得に意識を向けさせるテクニックのひとつと捉えるのが正しいだろう。
そして、特徴と言えるものが見た目や声、文面に表せないものに集中しているのは、手フリが存在しているのは、しかるべきタイミングにツッコミに注意を向けさせるためだと思う。
ツッコミに関する特徴というより、むしろツッコミを完璧に仕上げることでボケを引き立たせるものだ。ツッコミをわかりやすくするテクニック、というのが正しいように感じる。
そしてもうひとつ。
粗品のM1グランプリでの見た目を振り返るとかなり小綺麗にまとまっていて、見た目自体にほとんど違和感がない。
そのため、自然とボケであるせいやに目が行くようになっている。
ツッコミとボケの視線誘導のやり方は、凄腕マジシャンのトランプの使い方と大体同じで、多くの漫才師が自然と行っているやり方。
霜降り明星はそれを極めていると言っても過言ではない。
事実、ピン芸人として出場した2018年のR1ぐらんぷりでは寝ぐせ風に髪を下ろしており若干の違和感があるような見た目になっている。
比較
全てを計算だとは思わないが、「あの時これがウケた」からの逆算であろうと、ある程度は計算でやっていると思うと末恐ろしい。
もう一度思い返す。「粗品のツッコミらしさ」とは何だろう?
ツッコむ瞬間だけ発生する粗品の見た目・声の違和感。体言止め。
そしてそれらによって極限まで映えたツッコミの精度こそが、粗品らしさだ。
とまとめたい。
「粗品のツッコミかと思った」という喩えは、裏を返せばTwitterやLINEでの会話では発生しにくく、実際に声を発している時に発生しやすいのだろう。言い方がそれっぽいというのも大事な要素の一つ。
LINEで粗品のツッコミをする時は
— 粗品(霜降り明星) (@soshina3) 2019年3月18日
このスタンプがオススメです pic.twitter.com/PGzU25L6mk
霜降り明星の漫才はボケ(違和感)の数が多い性質上、拾い切ってツッコミが映えないと面白くならない。
漫才としての難度、言ってしまえば演じ切るハードルがとても高い。だがその反面、完璧にやってしまえばM1グランプリを優勝できるほどの爆笑を生み出せる。
演者としての能力が両人とも高いことはここまでくれば明白だろう。
せいやは特に違和感なく違和感を演じる必要がある。ボケ単体でどこまでも成立する笑いを生み出せる時点で代わりなどいないと思う。
せいやは最近だとワンコインモノマネというタグで投稿も続けていて、そこそこ面白いので推せる。なんかそれとは関係なくプチ炎上したけど。
小さいことでハピネスになるAIさん#ワンコインモノマネ#100円ぐらいのモノマネ pic.twitter.com/1Mqgic5ClF
— 霜降り明星 せいや (@simofuriseiyam) 2020年6月27日
演者としての能力が高いからこそ、真似しようと思ってもできるものではない。
何よりあのダミ声とも言える声質と勢い、大げさな手フリまで入れて成立するのは粗品以外他にあり得ないと感じる。
正解の間、正解の声量、正解の比喩、正解の勢い・速度。
冒頭でこういう喩え聞くよね~みたいなノリで初めてしまってなんだが、「粗品のツッコミかよ」と言われるのは偶然の産物、奇跡みたいなことだ。
「粗品かと思った」は最高の褒め言葉だと捉えるのが良いのかもしれない。
こちらからは以上です。
粉。(こなまる)でした。
「最後まで”ふしぎ発見!”」
………お笑いコメンテーターが書いたんか??オイ