粉。趣味:ぶろぐ

ぼくの趣味はぶろぐです

一瞬でクソジジイになってしまう

キャッチーなタイトルから繰り出されるエッセイ風のやつ書きたい。どうも、粉。(こなまる)です。

 

嘘みたいに時間が早い

タイトルの時点で内容と感情の約8割が込められているので見出しも本文も要らないような気がしているんですが、それを言うとこの世のブログ全てがTwitterに存在を食われかねないので趣味:ブログの人間として二週間ぶりに更新にこぎつけました。もしかして趣味:ブログって嘘なのでは?

 

嘘といえば最近思うことが、"歳を重ねるにつれて嘘みたいに時間が過ぎ去るのが早くなっていってる"ということ。とても自然な導入だったので芸術点を加点します。

中学生になったあたりで「あれ?なんか早いな」って感じていて、その時初めて「もう中学生」という芸人の芸名・その芸風の意味を理解できた気がしてたんだけど、その話はもう中学生さんが今現在何をしているのかくらいどうでもいいので一旦なかったことにしてください。ちょっと気になるけど。

 

気持ち的には「あれ?なんか早いなもう中学生じゃん!あっ、もう中学生ってこういう意味か~」ってボソボソ呟いてる間に中学3年間が終わってたんですけど、高校3年間はそのあとに「なるほどね~~!」って言ってる間に終わりかけてる感じです。

小学生の頃の僕がこの文章を読んでも「嘘をつくな」と言って信じないと思うけど、「嘘みたいに早いからこういう喩えをしてるんだよ」と優しく諭して、生まれ持って保有していたタイムリープ能力を全て使い切ることができました。ごめんなさい、タイムリープの部分は喩えじゃなくてただの嘘です。何言ってんだコイツって気持ちは僕もあります。

 

クソジジイからは逃れられない

ジジババってなんで思い出話ばかりするんだろうな~と悪意はなくぼんやり思っていたんですが、最近になってあまりの時間の早さに"過ぎ去る時間より思い出の記憶の方が明らかに強い"という事実を突きつけられました。

ここまで思い出の記憶が強いと、「思い出話をする」という行動自体にそれこそ「時をかける少女」のタイムリープ中のような心地良さがあるんだと知りました。勝手な解釈ではあるけど。

この勝手な解釈をしたあたりで「一瞬で思い出話だけのジジイになってしまう」という焦燥感を経てこの記事を書いているんですが、「もう中学生」とか「時をかける少女」とか見るからに平成生まれのネタが散りばめられていて僕はもうダメかもしれません。

平成生まれが現在の昭和生まれのような扱いを受けるであろうことに戦々恐々としていたけど、自分が令和生まれだと思ってこの文章を読んだ時の文の印象を鑑みるに、令和ベビー達に貶される瞬間はもうすぐそこまで来ているのだと思います。平成のオッサンが書いたんだってすぐわかるぞ。

クソジジイからは逃れられない、という遺言を見出しに残し、平成生まれキャピキャピ17歳の僕は平成のニオイがする18歳の僕になってしまいました。キャピキャピに関してはもはや昭和生まれが使う言葉のイメージなので、悪い意味で昭和の匂いも漂ってると思います。

怖いよ~~~そもそも昭和の匂い漂うってなんですか?って令和小僧に聞かれて駄菓子屋とか?って言って駄菓子屋ってなんですか?って聞かれるの、怖くてしかたないよ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

一通り書き出したあたりで令和生まれはそもそもこの文章読まないな、と冷静になった。グッバイ平成。

というか昭和生まれの人は昭和生まれの人でホントの老人扱いされるの怖がることはしないんだろうか、と思ったけど平成にタコ殴りにされてるからむしろ標的が平成生まれに移っていいのかもしれない。31年間もあれば老いているのは嘘じゃないし。

老いているのは嘘じゃない、みたいな余計な悪意のない一言ナイフはいずれ令和生まれから返ってくるだろうと思うので、今のうちに昭和生まれの方に無礼を詫びて徳を積もうと思います。気づかぬうちにめっちゃ失礼なこと言うからな、平成生まれ。…というか平成生まれと昭和生まれを区別している時点でもう何されても文句言えないのでは?あ~~~~~~~~~~~~~な~つやすみ~~~~~~(ギリギリ平成の曲)

 

文章のカロリーが高いと思うので終わります。

お前これ令和元年だから許されてるけど20年経ってたらスベリ倒してるからな。令和元年の時点で結構スベリ倒してる可能性はあるけど。

テンションが高いまま書いたらイタい平成のオッサンになってしまった。

こちらからは以上です。

粉。でした。