ナナナナ~、ナナナナ~、ななはちきゅじゅう~
いきなりでてきてご~めん~!どうも、粉。(こなまる)です。
なんだこいつ~~~!!!となった方はすみません。今回は冒頭から少々ハイテンションなので見たかったら見てもいいですし、見たくなかったら見なくてもいいですよ(メンタリストDaiGo)
このタイトルからどうしてそうなったかはわかりませんが、心の中にオカマを住ませることの利点を語るだけの記事です。
僕と心の中の住人
人類の何%くらいがやってるのか知らないんですけど、僕は心の中に住人を住まわせる行為を中学生くらいの頃から楽しんでいます。
ちなみに、このことに関して僕はジャパニーズインターネットポピュラームーブイッツソークール!と思っている。日本国内の段階でどれくらい普及してるのかもそもそも分からないけど。
キャラクター文化、転じてアニメ文化のない国や元々楽観的な思考の国だともしかするとこの発想にならないんじゃないか、なんて思ったり。そもそも元がTwitterのネタっぽいし。
有名どころだと心にオカマ(おそらくマツコデラックスさんやミッツマングローブさんを抽象化した存在)を住まわせておくことで細かいことでイライラしなくて済むとか、心にハム太郎飼っておくと決断が速いとか言いますよね。言わない?あれ?
実際にこれを何年間かやってて感じたのは、物事を冷静かつ客観的に見て決断するにもそこそこ有用な術であるということです。
新宿2丁目のオカマだったらどう言うだろう、大泉洋だったらどう嘆くだろうと考えることで、少しずつ冷静になれる場面は多々ある。
あと、これ心の中というより頭の中では…?という疑問。
セリフを考えてる時点で自分ではない気がするし、やってること脳内会議だし、脳内再生している。だけど住人から発されるのは結局自分から出てきた意見であって、それを後押ししているだけならやっぱり心だろうか。
自分が言いたいコトに乗り移ってるのが心の中、どうしたらいいか考えてる時は頭の中~みたいに分けられなくもないけど、分けたところで感あるからこの話は終了!
しゅごキャラのオカマ
で、これがコミュニケーションのシミュレーションになんの関係があるかなんですが。
この癖をつけたせいなのか、めっちゃ脳内で会話するようになった。
どうしたらいい?とオカマに問いかけること数年、オカマがしゅごキャラみたいになってしまった。しかもオカマの他にも住人がいるもんだから、情報が多いと自分から問いかけることなく脳内で会話が展開されることが稀にある。
勿論、この間は現実の人との会話がほとんど出来ない。言ってしまえばこれが唯一の弊害。
ただ、それ以外は精神衛生上すごく良い。
悪い事を思っても自分だけど自分じゃないモノに責任転嫁できるし、必要のない妙な罪悪感を感じることも少なくなる。脳内会話も入ってくる情報を整理しながらの暇つぶしになる。客観視することで考えの幅も広がる。
タイトルをノリで付けたから誤解を生みそうだけど、別にコミュニケーションのシミュレーションにはなってない。逆に実際のコミュニケーションはそう上手くいかないから、脳内会話で満足してしまいコミュ障が加速する可能性の方が大きい。
「心の中の○○」は単なるネットスラングかもしれないけど、実際やってみると楽しいし生きてて情報量が多いと感じる人や客観視を簡単にしたい人にはオススメだよ~みたいなことと、しゅごキャラのオカマという文字が書きたかった記事でした。ちなみに特に困ってないならオススメはしません。
こちらからは以上です。
粉。でした。