定期的に心の調子が悪くなる、という理由でルナルナをスマホに入れて2ヶ月経ちました。ということで文字を書きます。どうも、粉。(こなまる)です。
「エッセイ風のなにか」をまた書きたくなってしまったのは何故なのか、を考えるだけの記事。
心のもやを吐いて消す
…って言ってタイトルにほぼ書いちゃってるけど、僕にとって文章を書くことは心のもやを吐くことだ。
「もやを吐く」というと変な感じがするけど、簡単に言っちゃえばそういうストレス解消法だ。言いたくても言えないことを、理解してもらえる人に打ち明けてる気分になる。
これはカウンセラーにカウンセリングしてもらうようなもので、見えそうで見えない靄や霧のような心の障壁は、原因が見えてしまえば解決法は絞られる。
カウンセラーにカウンセリングされるように文を書けば、実際に解決していなくてもストレスは格段に減ってくれる。
これが他の人にもできるかはわからないけど、昔カウンセリングを受けた経験のおかげで、このストレス解消法があるのかもしれない。
ストレスの原因が探れて、解決した気分に浸れる。「ストレス解消法として」というのが書く理由の一つ目。
二つ目は、自分の文章を読むのが好きだから。もっと言えば書いてる作業自体も好きだ。
自分の心地よさのためにやっている、という点では自慰行為とそんなに変わらない。やってること壁打ちだし。「好きで、心地よいから」が二つ目。
ブログに文章を書くことのリスクリターン
「好きなコト、ストレス解消も兼ねている」という意味で見ると、僕にとって文章を書くことは、人との会話やテレビゲームの延長線上にあるんだろう。
ただ、テレビゲームや会話と比べると、エッセイ風のなにかを書くことはそれ自体からストレスが返ってくるリスクが少ない。わかりにくいけどストレスが少ないわけではない。
例えば人との会話だと、意図せず相手を傷つけることがあるし、傷つく可能性だってある。テレビゲームも思うようにいかなければストレスだし、何よりFF外からリプライナイフが飛んできたことも、そこそこある。
文章を書くことはどうだろう。ストレスになりうるだろうか。
まず、リプライナイフの可能性は会話やゲームと違いかなり低くなる。文章によって不快になる場合は読まなければ済む話だ。わざわざ名も知らない人のブログに飛んできて罵詈雑言飛ばすような暇な輩は、ほぼいない。
今の時代、ブログに書いてある捻くれた考え方くらいは多様性という言葉で片付けておいてほしい。片付けるって言い方も正直どうかと思うけど。
問題は、あとから読み返した時に自分自身がどう思うか。自分の幼い考え方が、年を取って変化した時に後悔の原因になる可能性は十二分にある。
ただ、リスクリターンとして考えた時、リスクの方が今のところ少なそうだと感じた。20年後や30年後に自分の倫理観が大きく変わっているような気がしないから。
リターンの方はさっき書いたストレス解消と、運が良ければ反応が貰えること。
こう書いてみると、暇な時間に何もしないよりはいいんじゃないかと思った。
やっぱり一通り思ったこと書くとなんだかスッキリする。あ、こちらからは以上です。
粉。でした。