粉。趣味:ぶろぐ

ぼくの趣味はぶろぐです

透けて見えるドヤ顔もオツなもの


評論家気取りはクリエイターの敵などと申しますが…え?申さない?どうも、粉。(こなまる)です。

最近はあまり聞きませんが、「作者のドヤ顔が透けて見える」という表現を目にすることってありましたよね。ちょっと前まで。

ちなみに、昨日書いた自分の文を読む話を読んで思いついた話です。ややこしや。

ネガティブなイメージを持って文を見ると、無理やり捻りだしたかのような批判がいくらでも思いつきます。まあこれは文に限らず、ですが。

その中でも僕が「それ言っちゃおしまいでしょ~」と思うのが、冒頭に挙げた表現です。他の言い方だと「作者のドヤ顔が目に浮かぶ」とかですかね。

で、最近「同意見の人がネットにはおるやろ(ハナホジー)」くらいの感覚で書く記事で検索してみるのにハマってるんですよね。今回も例に漏れず検索してみたら、まぁ同じ意見の多いこと多いこと。掲示板のまとめや個人ブログからアンサイクロペディアまで。リンク貼ろうかと思ったけど、貼って読ませるのもなんなので気になる方は検索してみてください。「作者 ドヤ顔」あたりで。

この表現を聞かなくなった理由がよーくわかりました。そもそも文から深読みしてしまうような評論家気取りは嫌われてしまうものなんですね。

 

でもでも、検索結果を受けてもうひとつ思ったのは、どうしても作者のドヤ顔を連想することもあるにはあるよなぁ…ということ。ただ、これって個人の好き嫌いに依存してるとも思う。過度に巧みだと思わせる表現をどこまで許せるかは、個人の嗜好と裁量次第だと。

ここまで来たらどう言っても机上論ですが、特定の表現を見て1000人中1000人がドヤ顔を感じるってことはないハズ…だってドヤ顔を感じるのって「巧みだったから」だし。

余談ですが、僕の変な癖のひとつに「ひとつの観点で思うことがあったら、反対の意見や中間の意見、別の視点を考えてみる」っていうのがあって。それで視点や意見がブレブレになってしまうことが多いんですよね。今回もそれかもしれない。

あと、どこかで見てなるほどと思った意見なんですが、
「普通の上手い小説は節々で巧みな表現を感じさせるが、本当に上手い小説は読むうちに引き込まれるから巧みさに気づかない。読後しばらくして、そういえば上手かった…!となる」って。多分Twitterで見た。

いや、小説を日常的に読まないから半信半疑なんですけどね。この文書いてて改めて、そうかもしれんな…とは思いました。名作中の名作って、そこらへんを思わせないようなつくりになってる…ような気がする。そりゃ名作と比較したらどんな創作も霞むわ。うんうん(勝手に納得する人)。

僕の意見としては、普通の上手い文章でも上手いだけオッケーで、ドヤ顔がチラついても、巧さを感じるならそれもまたヨシ。って思います。ドヤ顔が透けて見えてしまう人も否定はしませんけどね。

賢人アピールをドヤ顔でする、アホの粉。でした。